落合元監督に学ぶコーチング ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【コラム②】
2004年から2011年の8年間にわたり、プロ野球中日ドラゴンズの監督を務めた
落合博満さんのことを紹介したいと思います。
落合博満さんは、現役時代は3冠王を3度獲得、また監督としても8年間のうち
リーグ優勝4度という輝かしい成績を収めました。
その一方で、実は指導者としても一流の方なのです。
ここでは、落合さんの著書「コーチング」を参考に、落合さん流の指導法を
紹介したいと思います。
著書の中で、多村仁選手(現横浜ベイスターズ在籍)に対してバッティング指導を
したときのエピソードが書かれています。それは、2001年の春、落合さんが横浜
ベイスターズのキャンプで臨時コーチを任されたときのことです。
当時横浜ベイスターズに在籍していた多村選手のバッティングを指導することに
なりましたが、バッティングスイング、フォームに関する細かいことは、
何一つ「こうしなさい」と言わなかったそうです。
では、落合さんはどんな指導をしたのか。
それは、2~3時間の間に1000~1500回、ひたすら本人にバットを振らせ、
只々それを見ていたのです。
見ているだけで何が変わるのか。
それが、変わるのです。
2時間に1000回以上のスイングをするとなると、
多村選手がそれまで自分で意識して作っていたフォームで打つことは、
体に余分な負荷がかかり、続かなくなってしまうのです。
そして、体に負荷がかからず楽に打てる、自分自身の体に合った打撃フォームに
自然と変わっていったのです。
(落合さん自身も、現役時代はこのような方法で自身のバッティングフォームを
作ったそうです。)
それまで目立った成績を上げられていなかった多村選手は、これを機に結果を
出し始め、2004年には打率3割、ホームラン40本、100打点を記録する大打者に
成長したのです。
ここで大切なことは、本人に何かを気付かせる、身につけさせるために指導者で
ある落合さんが行ったことは、ただただ見守ることだけだったということです。
落合さん自身、
「最近の社会は、教える側は教えることに、また教えられる側は教えられることに
"慣れ"過ぎていると思える」
「こうした傾向は、教える側は画一的な方法論しか持てなくなるし、一方の教えら
れる側からは自ら学ぼうとする姿勢を奪い取ってしまう、と感じている。」
と述べています。
他にも、著書の中でコーチングに関して次のようなことを述べています。
- 教えるのではなく、学ばせる
- 押しつけない。ヒントを与える
- 手取り足取りは、若い者をダメにする。アドバイスは”ヒント”だけ
- 日本では、口を酸っぱくして教えられるのが良いコーチで、それができないのは、何も仕事をしない悪いコーチと言われてしまう。だが、決してそうではない。~中略~ 本当に気をつけなければならないのは、指導能力のない者が、素質の高い者の入り込んではいけない部分に入り込んでつぶしていくことなのだ。
- あくまでも主体は選手。相手の感覚でしか物事は進められない
- 「なんだ、そんなこともわからないのか」は上司の禁句
いかがでしょうか。どれも、本ブログで述べている内容と重なる部分があると感じて
いただけるのではないでしょうか。
落合さんは、マスコミには「オレ流」と呼ばれ、あたかも一般的な考えではなく、
独自の価値観に従っているかのようにもてはやしていますが、決してそんなことは
なく、むしろ、原理原則に従った、「本当に正しい方法」を貫いている方だと思って
います。
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生徒の印象に残すには ~Level3:子供の特性の授業への生かし方~【第4章】【01節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業
先生は翻訳家に徹しろ ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【コラム①】
インターネットがこれだけ広まり、誰でも大量の情報にアクセスすることが
可能となった情報化社会において、先生の位置づけ・役割は以前と変わっている
のではないか、むしろ変わるべきなのではないかと感じています。
最近の子供は、物心ついたときから身の周りにパソコンやインターネット環境が
あるのが当たり前で、小学生でも自らインターネットで必要な情報を検索すること
ができます。
よく言われるように、インターネット上の情報は、閲覧するホームページによっては
必ずしも正しいことが書いてあるとは限りませんし、表面的な情報しか得られない
こともあります。
しかし、だからと言って、インターネット検索を通して自らの情報量を増やすことが
悪いことではないし、むしろどんどん検索し、表面的にでもいいから、世の中のこと
を広く浅く知ることはいいことだと思います。
恐らく、最近の子供は、目の前にいる先生の頭の中よりも、インターネットの方が
多くの知識を所有していることを理解しているのではないかと思います。
事実、わざわざ学校や塾で先生にわからないことを聞くまでもなく、身近にある
パソコンからインターネットにつないで、知りたいことを調べる方が、早く大量の
情報が得られる時代なのです。
(ちなみに私の世代でも、「先生」と言ったら“google先生”、つまりgoogleで検索して
情報を得ることを指します。)
現在先生の立場にある人も、「情報量」ではインターネットには敵わないと思います
から、むしろ生徒が、先生を通してしか情報を得られないようなことにならないよう
努める必要があると思います。
つまり、「先生の保有する知識を生徒に伝える」という、これまでの一般的な先生の
役目を改めて考え直す必要があると感じています。
では、情報化社会の中で、「先生」が務めるべき役務は何なのでしょうか。
それは、教科書やインターネットに書かれている情報を生徒が理解できるように
わかりやすく正確に伝える、いわば「翻訳家」としての役務なのです。
教科書やインターネットに書かれている内容を読んで、そのまま理解できる生徒は
なかなかいません。(理解できるのであれば、授業をする必要がありません。)
きっと生徒は、教科書やインターネットのホームページを読んだだけでは、
「ん?これはどういうことだ?」
と行き詰まるはずです。
その時に、生徒がその内容を腹に落ちるように説明≒翻訳してあげることこそが、
情報化社会において先生の生み出すべき付加価値であると考えられます。
もちろん、翻訳家に日英、日仏などさまざまな言語の翻訳家がいるのと同じように、
生徒一人一人も、その生徒が自ら腹に落としやすい考え方は異なるので、
同じことを教えるにしても、生徒によって説明(翻訳)の仕方を変える必要が
あります。
そのためには、その生徒にとって考えやすい考え方を察知する必要があり、
その点はやはり人間(先生)が介在する必要があるのです。
これからの先生には、「知識の源」ではなく「知識の翻訳家」としては役割が
より強く求められるのです。
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落合元監督に学ぶコーチング ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【コラム②】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業
「抽象」と「具体」の間を行き来し、その場に合った例え話を適宜引き出す ~LEVEL2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【07節】Level
1つのことを教える際の「たとえ話」を複数用意するためには、教える内容を
先生が抽象化して理解してるかどうかがポイントとなります。
教える者が、教える内容を抽象的概念として捉えられていれば、複数の例を
示さなければならない場合に、「抽象」と「具体」の間を行き来し、
相手が理解できるような例に適宜具体化して説明することができるようになります。
「抽象的」な話になってしまったので、さっそく「具体化」して説明しましょう。
例えば、中学の理科の分野に「電気」があります。
電気は目に見えないため、いまいちイメージがつかめず、不得意に感じている
生徒は多いようです。
こういう時こそ、先生の出番です。
電気は目に見えないとはいえ、高校、大学レベルの電気分野を既に勉強されている
先生であれば、要は「電子の流れ」であることはご存知だと思います。
抽象化すると、『流路を何かが流れる現象』ということになります。
ここから、生徒にとってわかりやすい「何かの流れ」は何かないか、と考え、
「水」に例えられるのではないかと考えるわけです。
導線は水が流れる管に、抵抗は水車に、電池は水をくみ上げるポンプにでも例えま
しょう。そうすれば、
- 2つの水車(抵抗)は、並列ではなく直列でつなぐと、水(電気)は流れにくくなり流量が減るため、ポンプはフル稼働しなくて済む(電池がなくなりにくい)
- 2つのポンプ(電池)を直列に動かすと、より高いところから水を流すことができ、水車(抵抗)はよく回る(抵抗の発熱や豆電球の発光は増える)。
といったように、電気分野の基本的なことを直感的に理解しやすくなります。
このように様々な具体例を用いて説明をして、それらのうちのどれか一つでも、
生徒が理解、納得しやすいものがあればOKということです。
個々の生徒によってわかりやすい説明は異なるので、説明もある程度は
「数打ちゃ当たる」
といった面はあります。
教える内容を一度抽象化してから再度具体化して説明することは、相手によって
説明の仕方を変えられるだけでなく、一人の相手に対しても、さまざまな説明が
出来るようになるということです。
前節でも述べたように、先生は少ししつこいくらいに説明するくらいがちょうど
良いのですが、その際、同じ言い方、同じ説明の仕方では、さすがに生徒は飽き飽き
してしまいます。
そこで、最初に説明した方法とは異なる方法、異なる例で、同じ内容を繰り返し説明
することが必要となるのです。先生が「抽象」と「具体」の間の翻訳家となり、
両者の間を自由に行き来できるようになれば、説明の方法はどんどん広がって行き
ます。
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先生は翻訳家に徹しろ ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【コラム①】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業
大切なことは、くどいくらいに説明する ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【06節】
前節
相手のレベルを知るには、実際にやらせてみるのが一番 ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【05節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業
において、相手が理解できていることを繰り返し説明するのは、時間の無駄に
なりかねないとお話ししました。
一方で、ここで注意しなければならないのは、
「生徒は『わかった』と言っているが、本当にわかっているのだろうか」
と疑わなければならないということです。
授業で新しいことを説明して、生徒が「わかった」と言っただけで、
十分な理解が得られていると考えるのは早計です。
「わかった」と言ったにもかかわらず、実際に問題を解かせてみたらできなかった、
ということは日常茶飯事です。
ですがそんな時でも、「わかってないじゃん」と言ってはいけません。
生徒は大概、「わかる」という状態がどんなものなのかをわかっていません。
そもそも、生徒の「わかった」という言葉をそのまま受け取っていては、
先生のいる意味がありません。
本当にわかっているかどうかを確認する方法の一つが、前節でも述べたように、
「実際にやらせてみる」ことです。
実際に問題を解くことができていれば(正しいアウトプットができていれば)、
ある程度の理解は得られているものと考えていいと思います。
もう一度解説し、問題が解けるようになってこそ、初めて、先生が
「理解できたかな」と思っていいのです。
一方、問題が解けなかった場合は、もう一度説明することになります。
授業を通して伝えたい「大切なこと」は、
授業の中で、くどいくらいに何度も説明しましょう。
子供に限らずみなさんそうだと思いますが、相手の話を常に全力で聞くことは
難しいことです。相手の話の何割かは、適当に聞き流しているものです。
ですから、「しっかり先生の話を聞いていない生徒が悪い」とは思わず、
「人間はそもそもそういう生き物だ」と割り切り、何度も説明しましょう。
とはいえ、何度も、「まったく同じ説明」をされては、聞いている相手もうんざり
してしまいます。ですから、同じことを説明するにしても、言い方、例え方、
説明の仕方を適宜変えて、相手が飽きないように工夫することも大切です。
先生にとって、1つの内容をいろいろな方法で説明することは、
それほど簡単なことではないかもしれません。
そんな時は、1つの学習内容を、各教科書や学習参考書がどのように説明している
のか、参考にしてみましょう。同じ学習内容でも、教科書や学習参考書によっては、
説明の仕方が異なることがあります。
複数の説明の仕方に日ごろから注目し、説明のレパートリーを増やしておくことは、
授業で相手に合わせた説明ができるようになるだけでなく、相手を飽きさせること
なく、繰り返し説明するためにも役立ちます。
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「抽象」と「具体」の間を行き来し、その場に合った例え話を適宜引き出す ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【07節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業
相手のレベルを知るには、実際にやらせてみるのが一番 ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【05節】
前々節のこちらの絵
では、何かを教える際には、まずは相手の状況を把握することから始まると
説明しました。
相手が既に知っていること、理解していることを繰り返し説明してしまっては、
時間を無駄に消費するだけでなく、それを聞いている生徒にも
「それくらいわかってるよ・・・」
と感じさせてしまう恐れもあります。
一方、生徒が理解できていないレベルから説明を始めてしまっても、
生徒は何のことやらさっぱりわからなくなってしまい、困惑するだけです。
なにか説明を始める前に相手のレベルを把握することは、重要なプロセスです。
では、相手の状況、特に授業では、生徒の理解度を知るために、
最も効率的、効果的な方法は何でしょうか。
それは、実際にやらせてみることです。
具体的に言うと、例えば、授業の最初に数問程度の確認テストを行い、
実際に問題が解けるかどうかによって生徒の理解度を計ります。
実際に問題を解いてもらうと、解くスピードや問題を解く過程のどこでつまずく
のか、といったことから総合的に判断して、相手の理解度がよくわかります。
その理解度に応じて授業の説明を始めることで、生徒の理解度にちょうど良い授業を
進めることができます。
特に学習塾では、初めて担当する生徒の授業も多々あります。
そんな時は、その生徒の偏差値や、過去のテストの成績を見るよりも、
実際に授業の最初に何らかの問題を解かせてみて、その結果を見て判断すれば、
生徒のレベルは一目瞭然です。
さらに確認テストの間に、生徒の話し方や雰囲気などの特徴をつかめれば、
NLPを授業で実践する準備にもなり、一石二鳥です。
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大切なことは、くどいくらいに説明する ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【06節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業
教えるときにやってはいけないこと ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【04節】
次に「いくつかのやってはいけないこと」について考えてみましょう。
本節で紹介する6つのやってはいけないことを意識するだけでも、
生徒の授業に対する満足度はぐっと高くなること間違いないでしょう。
ここで紹介する「6つのやってはいけないこと」は、松尾昭仁さんの著書「教え方の鉄則」に書かれているものです。
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松尾さんは主にビジネスマンを相手にセミナーやコンサルティングをされている方
で、同書は会社における上司の部下の間における「教え方」について説明されて
います。
しかし、その内容は、私が考える、
「先生と生徒の間における『やってはいけないこと』」
と全く同じであると感じましたので、こちらで引用させて頂きます。
- いきなり本題に入ってはいけない!
本来であれば、正しい解説をすぐにでも始めてしまいたくなるのが先生という立場の人間の性分ですが、前節では、相手に何かを教える際には、①まずは相手のおかれている状況を確認し、②相手が行き詰っている、もしくは誤った考えに至った根本の原因を突き詰め、③説明のスタート地点を確認する必要があると説明しました。それこそがまさに、「いきなり本題に入ってはいけない」ということです。これには、
- まず相手の話を聞き、相手の「受容と共感」に対する欲求を満たす。
- 相手のレベルに合ったところから説明を始めることで、無駄な説明時間を省く。
- 相手が躓いている点に対してピンポイントの解説をすることで、相手にまどろっこしさを感じさせない、自分の考えを理解してもらえていると感じてもらう。
といった効用があります。また、「先生も学生のころはそう思ってたんだけど、実はそうじゃないんだよね。」といったような、ちょっとした雑談もはさむことで、生徒に共感を示しつつ、生徒が先生の説明を受け入れやすいような「空気」を作ることも大切です。
- ほかの生徒と比較してはいけない!
松尾さんの著書では、「ほかの生徒」ではなく「ほかの部下」となっていますが、授業の場面を想定しているので、「生徒」に置き換えました。みなさんも想像していただければお分かりの通り、「○○さんはこれくらいできているのにな・・・」とか、「□□くんも、もっとがんばれば○○くんと同じくらいできるようになるよ」いったように、自分を他の生徒と比較されたら、きっと不快な気分になってしまうでしょう。「自分はほかの人に比べて出来が悪いんだな」と、自己肯定感を傷つけ、本人のやる気を失わせるだけです。こうした「比較・競争」に関しては、第4章で詳しく触れますが、もし比較するのであれば、他人とではなく、生徒自身の過去と比較するべきです。「前は10分かかっていたのに、今日は5分で解けるようになったね」「前回よりも点数が5点上がったね」といった具合にです。時には、生徒の方が「今回は○○君よりもテストの点が良かったよ」といったように身近な生徒と比較することもあります。そんな時は、まずはそれを受け入れ、褒めてもいいですが、「でも、全国にはもっとできる人がいると思うよ」といったように、ライバルは身近な存在だけではないということもぜひ付け加えておきたいところです。身近な人と比べて、よかった悪かったと一喜一憂しても、キリがないからです。
ここまでの説明は、生徒のできが良くて褒める場合を例としていましたが、逆に、生徒の成果が芳しくなく、奮起を促したい場合はどうすればよいでしょうか。同じように、過去の自分と比較して、「この問題、前回は解けたのにね」「前より点数下がったね」と言って、生徒のやる気を引き出すことができるでしょうか。
人は、自分が以前はできていたもの、保持していたものを失うことをとても恐れるので、このような言い方をしてしまうと、むしろそれから目をそらしてしまいたくなってしまいます。そのような場合は、「こうすればもっとよくなるよ」といったように、具体的な行動を示しつつ、生徒自身がより高いレベルへ到達できるというイメージを示すことになります。過去の自分と今の自分を比べるのではなく、今の自分と未来の自分を比べる、といったところでしょうか。 - 難しい専門用語を使ってはいけない!
これはつまり、相手が確実にわかる言葉で説明すべき、ということです。この点も、前節の5において、「相手の言葉」を用いると説明したことに通じます。生徒に何かを説明する際には、先生は自分が説明で使っている言葉の1つ1つが、生徒にもわかる言葉かどうか、説明しながらよく精査すべきです。もしうっかり、難しい言葉を使ってしまった場合、あるいはいまいち生徒が理解できていないような表情を示した場合には、より平易な表現がないか考え、生徒自身がすっきり理解できるまでにレベルを落として説明しなおしましょう。
教えることが上手な人というのは、難しい言葉を相手のわかる言葉・表現に翻訳できる人のことです。 - 生徒を言い負かしてはいけない!
これも松尾さんの本では「部下を言い負かしてはいけない!」と表現されています。そもそも、生徒と先生を比べて生徒の方が勝っていることなんて、ほとんどありません。ですから、言い負かそうと思えば、それは簡単なことです。中には、生徒の発言に対し、「いや、そうじゃなくて、○○でしょ。」と先生が当たり前のことを説明するだけでも、生徒によっては「言い負かされている」と感じることもあるでしょう。生徒に、「自分の考えを完全に否定された」「言い負かされた」と感じさせてしまっては、生徒のモチベーションは下がることはあっても上がることはありません。逆に、「生徒に気づきを与え、導く」ということを意識していれば、「生徒を言い負かす」ということなど、絶対に起こらないはずです。
先生には、「生徒の不完全な考えにつきあってあげる」というくらいの度量が必要です。それくらいの度量をもって、相手の間違った言い分を一度受け入れたところで、先生が生徒に言い負かされることなんかありません。間違った考えでも、まずは受け入れ、「そうか、そこまでは考えられたんだね。」と褒める一言くらい言ってから、じっくり正しい方向へ導く。これぞ、先生という仕事の醍醐味なのです。
「生徒を委縮させたら先生の負けだ」というくらいの強い意識を持って授業に臨みたいものです。 - 「自分で考えて」と突き放してはいけない!
これは、生徒のほうから質問してきたときに、「自分で考えて」と突き放してはいけない、ということです。なかには、内気な性格で、なかなか先生に質問しづらい生徒もいます。そんな生徒がせっかく勇気を振り絞って質問したのに、そのように突き放されてしまっては、それ以降、生徒のほうから質問してくることはなくなってしまうでしょう。もちろん、質問の内容によっては、「それくらいのことは、さすがに自分で考えてほしいな」と先生が思うような内容のこともあります。ですが、それをすぐに口には出さず、まずは「そうか、まだそれくらいの理解しかできていないのだな」と、相手の状況を受け入れましょう。むしろ、「そうかそうか、そこでわからなくなっちゃったんだね」というように、「質問や相談はウェルカム」な雰囲気を作りましょう。そして、決していきなり答えまで導いてあげる必要はないので、何かしらのフォローはしてあげましょう。「さっきの問題はどうやって解いたんだっけ」とか、「ノートには何が大切って書いたんだっけ?」といったような、すでに生徒が考えているようなことでもいいのです。すでに一度生徒が考えているようなことであっても、それを先生に説明するために、言葉にしながら再度頭の中を整理している過程で、ふと「あっ、そうか!」と何かに気づくことも少なくありません。当たり前のことを、もう一度生徒に説明してもらう、というのは、何かに気づいてもらうためにいつでも使える、便利な手法です。
- 「だから言っただろう」と言ってはいけない
これは、過去のことを引き合いに出して、相手を非難することを表します。例えば、「前回の授業で、これ説明したはずだよね。」「またこの問題、間違えたの。」といった発言です。こうした発言には、「あーあ、またかよ」「何回説明させるんだよ」といった、先生の負の感情が含まれていることに、お気づきでしょうか。負の感情を言葉に表したところで、生徒も負の感情しか抱きませんし、「ああ自分はまた同じことで怒られている、だめなやつなんだ」と自己肯定感をすり減らすことにもなりかねません。授業は、感情的になることなく、建設的に進めなければなりません。とはいえ、授業を進めていれば、先生が負の感情を抱いてしまう機会は少なからずあります。そうした負の感情を表すことは、程度の差はあれど「怒る」ということになるわけですが、授業中に「怒る」ことは絶対にあってはならないと思います。私は、授業中にこうした負の感情を表したことはありません。負の感情が生まれてくることはありますが、それを表に出しても何もいいことはないので、少しつらいですが、何とかこらえて、どうすれば建設的に授業を進められるかということに考えを切り替えます。「怒る」という方法をとらなくとも、生徒に正しい方向へ導くことはできるにもかかわらず、つい怒ってしまうのは、先生の度量が足りないのだ、と自分に言い聞かせて授業を進めていました。
生徒はただ単に、「わからない」「覚えていない」と、現在の状況を先生に報告しただけなのに、それに対して、「前に教えただろ」とか「もう忘れたの」といったように負の感情をあらわにするのは、先生の勝手でしかありません。そもそも、「前回教えたのだから、わかっているはず」とか「何回も説明したから覚えているはず」というのは、先生側の勝手な望みであり、先生の勝手な望みと生徒の現状を比較して怒られるというのは、生徒にとっても迷惑な話です。先生の描く理想のイメージは忘れ去り、生徒の現状を受け止め、受け入れ、むしろ自分のこれまでの教え方が生徒に合っていなかったからもう覚えていないのだろう、次はどのように解説すれば、しっかり覚えてくれるだろうか、というように、怒りではなく工夫によって授業を変える、あるいは生徒の現状を変えることが先生には求められるはずです。仮に、何かを注意しなくてはならない場合でも、過去のことを掘り返すことなく、今目の前で起こったことを、ピンポイントに絞って注意するよう意識しましょう。
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相手のレベルを知るには、実際にやらせてみるのが一番 ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【05節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業
生徒を導くプロセス ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【03節】
では、もし生徒が誤った方向へ向かってしまいそうになったとき、
もしくは生徒の方から質問があった時、どのように「教える」とよいのでしょうか。
本節では、「教える」プロセスを解説したいと思います。
イメージをこちらににまとめました。
これは、生徒に対して教えるときだけでなく、誰かに対して何かを伝えるときも、
考え方は一緒です。
- 相手の疑問・質問に対し回答する際、また問題を考え込んだままの生徒に解説する際には、まず相手がおかれている状況を確認します。例えば授業において生徒の勉強を教える場面であれば、
- 生徒は問題の中のどこで詰まっているのだろうか?
- 類題の説き方をイメージしながら考えているだろうか?
- (国語の文章題であれば)いま注目している段落はどこだろう?
- (生徒が自ら書き進めようとしているグラフや絵を指して)「その図について、説明してもらえるかな?」
- もし相手から質問を受けた場合、相手の質問を鵜呑みにせず、「真の質問は何だろうか?」「行き詰っている根本の原因は何だろうか?」という点を意識しながら、相手の考えを聞き出します。真の問題の仮説を一つ一つ確認することで、行き詰っている根本の原因を把握します。
- 「じゃあ、まずは自分で考えたところまで、説明してもらえるかな?」
- 「そうか、さっきの問題にあった▽▽が、今回の○○に対応すると思ったんだね。」(わからない原因の特定。生徒の質問内容からはずれているかもしれない)
- 「つまり、▽▽だと思ったから、答えが□□だと考えたんだね。」(それが間違っていたとしても、まずは相手の考えを要約して確認、受容の姿勢を見せる。)
- 原因が把握できれば、正しい説明を始めるスタート地点、相手の理解のレベル感をそれとなく確認します。
- 基本的なことから、1つ1つ理解を確認してみる。
- 「こういう問題を解くときは、まずどうするんだったっけ?」
- 「前回の授業で説明した○○は覚えてる?」
- (もし覚えていなければ)「じゃあ、前回の授業の復習からもう一度やろうか」
- (もし覚えていれば)「今、それを思い出しながら考えた?」
- 基本的なことから、1つ1つ理解を確認してみる。
- 相手が「納得」してくれるまでのイメージを描きます。先生の頭の中で、
- 「もう一度前回の授業の復習をして、基本を確認した後で説明しないといけないな」
- 「生徒が考えられたところまでは合っているから、そこから先をリーディングすればいいな」
- イメージに沿って相手の理解を確認しながら説明するプロセスを繰り返すことで、相手の自然な理解につなげていきます。第2章で説明した、「リーディング」を行います。繰り返しになりますが、「一つ一つ」「相手の言葉で」「押しつけず導く」ということを意識しましょう。
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