「記憶」ではなく「印象」に残す授業

元塾講師の綴る、実践に基づいた教育論。日本の教育を、より良くするために。

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目次

最初の記事

教えるときにやってはいけないこと ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【04節】

次に「いくつかのやってはいけないこと」について考えてみましょう。

 

本節で紹介する6つのやってはいけないことを意識するだけでも、

生徒の授業に対する満足度はぐっと高くなること間違いないでしょう。

 

ここで紹介する「6つのやってはいけないこと」は、松尾昭仁さんの著書「教え方の鉄則」に書かれているものです。 

部下が育てば上司が得する!  教え方の鉄則 (ビジネス鉄則シリーズ)

部下が育てば上司が得する! 教え方の鉄則 (ビジネス鉄則シリーズ)

 

 

松尾さんは主にビジネスマンを相手にセミナーやコンサルティングをされている方

で、同書は会社における上司の部下の間における「教え方」について説明されて

います。

 

しかし、その内容は、私が考える、

「先生と生徒の間における『やってはいけないこと』」

と全く同じであると感じましたので、こちらで引用させて頂きます。

 

  1. いきなり本題に入ってはいけない!

    本来であれば、正しい解説をすぐにでも始めてしまいたくなるのが先生という立場の人間の性分ですが、前節では、相手に何かを教える際には、①まずは相手のおかれている状況を確認し、②相手が行き詰っている、もしくは誤った考えに至った根本の原因を突き詰め、③説明のスタート地点を確認する必要があると説明しました。それこそがまさに、「いきなり本題に入ってはいけない」ということです。これには、

    • まず相手の話を聞き、相手の「受容と共感」に対する欲求を満たす。
    • 相手のレベルに合ったところから説明を始めることで、無駄な説明時間を省く。
    • 相手が躓いている点に対してピンポイントの解説をすることで、相手にまどろっこしさを感じさせない、自分の考えを理解してもらえていると感じてもらう。

    といった効用があります。また、「先生も学生のころはそう思ってたんだけど、実はそうじゃないんだよね。」といったような、ちょっとした雑談もはさむことで、生徒に共感を示しつつ、生徒が先生の説明を受け入れやすいような「空気」を作ることも大切です。

  2. ほかの生徒と比較してはいけない!

    松尾さんの著書では、「ほかの生徒」ではなく「ほかの部下」となっていますが、授業の場面を想定しているので、「生徒」に置き換えました。みなさんも想像していただければお分かりの通り、「○○さんはこれくらいできているのにな・・・」とか、「□□くんも、もっとがんばれば○○くんと同じくらいできるようになるよ」いったように、自分を他の生徒と比較されたら、きっと不快な気分になってしまうでしょう。「自分はほかの人に比べて出来が悪いんだな」と、自己肯定感を傷つけ、本人のやる気を失わせるだけです。こうした「比較・競争」に関しては、第4章で詳しく触れますが、もし比較するのであれば、他人とではなく、生徒自身の過去と比較するべきです。「前は10分かかっていたのに、今日は5分で解けるようになったね」「前回よりも点数が5点上がったね」といった具合にです。時には、生徒の方が「今回は○○君よりもテストの点が良かったよ」といったように身近な生徒と比較することもあります。そんな時は、まずはそれを受け入れ、褒めてもいいですが、「でも、全国にはもっとできる人がいると思うよ」といったように、ライバルは身近な存在だけではないということもぜひ付け加えておきたいところです。身近な人と比べて、よかった悪かったと一喜一憂しても、キリがないからです。
    ここまでの説明は、生徒のできが良くて褒める場合を例としていましたが、逆に、生徒の成果が芳しくなく、奮起を促したい場合はどうすればよいでしょうか。同じように、過去の自分と比較して、「この問題、前回は解けたのにね」「前より点数下がったね」と言って、生徒のやる気を引き出すことができるでしょうか。
    人は、自分が以前はできていたもの、保持していたものを失うことをとても恐れるので、このような言い方をしてしまうと、むしろそれから目をそらしてしまいたくなってしまいます。そのような場合は、「こうすればもっとよくなるよ」といったように、具体的な行動を示しつつ、生徒自身がより高いレベルへ到達できるというイメージを示すことになります。過去の自分と今の自分を比べるのではなく、今の自分と未来の自分を比べる、といったところでしょうか。

  3. 難しい専門用語を使ってはいけない!

    これはつまり、相手が確実にわかる言葉で説明すべき、ということです。この点も、前節の5において、「相手の言葉」を用いると説明したことに通じます。生徒に何かを説明する際には、先生は自分が説明で使っている言葉の1つ1つが、生徒にもわかる言葉かどうか、説明しながらよく精査すべきです。もしうっかり、難しい言葉を使ってしまった場合、あるいはいまいち生徒が理解できていないような表情を示した場合には、より平易な表現がないか考え、生徒自身がすっきり理解できるまでにレベルを落として説明しなおしましょう。
    教えることが上手な人というのは、難しい言葉を相手のわかる言葉・表現に翻訳できる人のことです。

  4. 生徒を言い負かしてはいけない!

    これも松尾さんの本では「部下を言い負かしてはいけない!」と表現されています。そもそも、生徒と先生を比べて生徒の方が勝っていることなんて、ほとんどありません。ですから、言い負かそうと思えば、それは簡単なことです。中には、生徒の発言に対し、「いや、そうじゃなくて、○○でしょ。」と先生が当たり前のことを説明するだけでも、生徒によっては「言い負かされている」と感じることもあるでしょう。生徒に、「自分の考えを完全に否定された」「言い負かされた」と感じさせてしまっては、生徒のモチベーションは下がることはあっても上がることはありません。逆に、「生徒に気づきを与え、導く」ということを意識していれば、「生徒を言い負かす」ということなど、絶対に起こらないはずです。
    先生には、「生徒の不完全な考えにつきあってあげる」というくらいの度量が必要です。それくらいの度量をもって、相手の間違った言い分を一度受け入れたところで、先生が生徒に言い負かされることなんかありません。間違った考えでも、まずは受け入れ、「そうか、そこまでは考えられたんだね。」と褒める一言くらい言ってから、じっくり正しい方向へ導く。これぞ、先生という仕事の醍醐味なのです。
    「生徒を委縮させたら先生の負けだ」というくらいの強い意識を持って授業に臨みたいものです。

  5. 「自分で考えて」と突き放してはいけない!

    これは、生徒のほうから質問してきたときに、「自分で考えて」と突き放してはいけない、ということです。なかには、内気な性格で、なかなか先生に質問しづらい生徒もいます。そんな生徒がせっかく勇気を振り絞って質問したのに、そのように突き放されてしまっては、それ以降、生徒のほうから質問してくることはなくなってしまうでしょう。もちろん、質問の内容によっては、「それくらいのことは、さすがに自分で考えてほしいな」と先生が思うような内容のこともあります。ですが、それをすぐに口には出さず、まずは「そうか、まだそれくらいの理解しかできていないのだな」と、相手の状況を受け入れましょう。むしろ、「そうかそうか、そこでわからなくなっちゃったんだね」というように、「質問や相談はウェルカム」な雰囲気を作りましょう。そして、決していきなり答えまで導いてあげる必要はないので、何かしらのフォローはしてあげましょう。「さっきの問題はどうやって解いたんだっけ」とか、「ノートには何が大切って書いたんだっけ?」といったような、すでに生徒が考えているようなことでもいいのです。すでに一度生徒が考えているようなことであっても、それを先生に説明するために、言葉にしながら再度頭の中を整理している過程で、ふと「あっ、そうか!」と何かに気づくことも少なくありません。当たり前のことを、もう一度生徒に説明してもらう、というのは、何かに気づいてもらうためにいつでも使える、便利な手法です。

  6. 「だから言っただろう」と言ってはいけない

    これは、過去のことを引き合いに出して、相手を非難することを表します。例えば、「前回の授業で、これ説明したはずだよね。」「またこの問題、間違えたの。」といった発言です。こうした発言には、「あーあ、またかよ」「何回説明させるんだよ」といった、先生の負の感情が含まれていることに、お気づきでしょうか。負の感情を言葉に表したところで、生徒も負の感情しか抱きませんし、「ああ自分はまた同じことで怒られている、だめなやつなんだ」と自己肯定感をすり減らすことにもなりかねません。授業は、感情的になることなく、建設的に進めなければなりません。とはいえ、授業を進めていれば、先生が負の感情を抱いてしまう機会は少なからずあります。そうした負の感情を表すことは、程度の差はあれど「怒る」ということになるわけですが、授業中に「怒る」ことは絶対にあってはならないと思います。私は、授業中にこうした負の感情を表したことはありません。負の感情が生まれてくることはありますが、それを表に出しても何もいいことはないので、少しつらいですが、何とかこらえて、どうすれば建設的に授業を進められるかということに考えを切り替えます。「怒る」という方法をとらなくとも、生徒に正しい方向へ導くことはできるにもかかわらず、つい怒ってしまうのは、先生の度量が足りないのだ、と自分に言い聞かせて授業を進めていました。

    生徒はただ単に、「わからない」「覚えていない」と、現在の状況を先生に報告しただけなのに、それに対して、「前に教えただろ」とか「もう忘れたの」といったように負の感情をあらわにするのは、先生の勝手でしかありません。そもそも、「前回教えたのだから、わかっているはず」とか「何回も説明したから覚えているはず」というのは、先生側の勝手な望みであり、先生の勝手な望みと生徒の現状を比較して怒られるというのは、生徒にとっても迷惑な話です。先生の描く理想のイメージは忘れ去り、生徒の現状を受け止め、受け入れ、むしろ自分のこれまでの教え方が生徒に合っていなかったからもう覚えていないのだろう、次はどのように解説すれば、しっかり覚えてくれるだろうか、というように、怒りではなく工夫によって授業を変える、あるいは生徒の現状を変えることが先生には求められるはずです。仮に、何かを注意しなくてはならない場合でも、過去のことを掘り返すことなく、今目の前で起こったことを、ピンポイントに絞って注意するよう意識しましょう。

 

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相手のレベルを知るには、実際にやらせてみるのが一番 ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【05節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業

 

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