「記憶」ではなく「印象」に残す授業

元塾講師の綴る、実践に基づいた教育論。日本の教育を、より良くするために。

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目次

最初の記事

授業で印象に残っていること【プロローグ】【01節】

突然ですが、みなさんが今までに受けた授業の中で、

印象や記憶に残っているものはありますか?

 

社会人になられてもう何年も経っておられる方で、

「学生なんてもう何年も前だから、記憶はほとんどない」

ということであれば、最近受講したセミナーや研修でも構いません。

また、まさに今学生でいらっしゃる方であれば、

今日の授業、昨日の授業の中で、記憶に残っていることは何でしょうか。

それは教科書に太字で書かれているような重要事項でしょうか。

 

たいていの場合、授業を終えて記憶に残っていることは、

授業の内容とは関係ないこと、

 

例えば、先生が余談で話したおもしろい雑談や、

授業の中で誰かがおかしな発言をしてみんなで笑った、

といったことであったり、

あるいは、理科や化学の実験など、ただ座って話を聞くだけの講義ではない、

五感を使って何かを感じる授業であったりしたのではないでしょうか。

 

授業は最初から最後まできちんと聞いていたはずなのに、

テストで問われるような肝心なところは覚えていない。

そう感じられる方は多いのではないでしょうか。

 

これは、既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、

教える側(先生)は生徒の「記憶」に残そうと授業を進めているのに対し、

教わる側(生徒)はその授業の中で「印象」に残ったことしか記憶に残っていない

のです。

 

この食い違いを埋めるべく、生徒は先生の板書を一生懸命に

ノートに書き写し、きっと記憶には残らないであろう授業の内容を

後から復習できるよう備えておくわけです。

 

もし、授業において先生が本当に伝えたい大切なことが、

生徒にとっても「印象」として残り、自然と頭に残ってくれたら、

先生にとっても生徒にとっても、幸せなことだと思いませんか?

 

みなさんもご経験があると思いますが、

人間が何かを記憶しようとするには、残念ながらそれなりの労力が必要です。

例えば、英単語を覚えるために、暗記カードを作って通学時間に繰り返し見たり、

算数や数学の問題の解き方を身に着けるために、類似の問題を何題も解く、

といったことです。

 

確かにこういった”繰り返し”の作業を通して、勉強内容を定着させることは

大切ですし、決してそれが不要だとは言いません。

特に、いわゆる「暗記」が必要な場合は、こうしたやり方をするしかないのかも

しれませんし、”繰り返し”によって勉強内容が血肉となって定着する効用は、

これはこれで利用すべきです。

 

一方で、先生の雑談や周りの学生のおかしな発言など、

本来覚えなくてもいいようなことを、印象に残っているがために覚えていることも、

また事実です。

 

では、

もし覚えようとしなくても覚えてしまうことが、

授業で大切なポイントであったら、

つまり、授業で伝えたいことを生徒の「印象」に残すことが出来たら、

それがたとえ、1つの授業につき1つだけであったとしても、

その授業の濃さは格段に変わると思いませんか。

 

私自身、学生当時から、

「記憶ではなく印象に残る授業を先生がしてくれればいいのに」

と常々思っていました。

しかし、長年学生としてさまざまな先生を見てきましたが、

そんな素敵な先生に出会ったことがありません。

それなら、まず私自身が、そんな印象に残る授業を体現できないものか。

そう思い、私自身、学習塾において講師を始めたのです。

どうすれば生徒の印象に残るような授業を展開できるのだろうか。

いつもこのことを考え、アイディアの1つ1つを実際に授業で試し、

生徒の反応を見ながら授業を進める、といったことを繰り返していました。

その具体的な内容を本章で紹介していきたいと思います。

 

ここで、私が塾講師として働いていたときの経験と思い出を少し紹介しましょう。

 

 

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一通の手紙【プロローグ】【02節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業

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