先生は翻訳家に徹しろ ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【コラム①】
インターネットがこれだけ広まり、誰でも大量の情報にアクセスすることが
可能となった情報化社会において、先生の位置づけ・役割は以前と変わっている
のではないか、むしろ変わるべきなのではないかと感じています。
最近の子供は、物心ついたときから身の周りにパソコンやインターネット環境が
あるのが当たり前で、小学生でも自らインターネットで必要な情報を検索すること
ができます。
よく言われるように、インターネット上の情報は、閲覧するホームページによっては
必ずしも正しいことが書いてあるとは限りませんし、表面的な情報しか得られない
こともあります。
しかし、だからと言って、インターネット検索を通して自らの情報量を増やすことが
悪いことではないし、むしろどんどん検索し、表面的にでもいいから、世の中のこと
を広く浅く知ることはいいことだと思います。
恐らく、最近の子供は、目の前にいる先生の頭の中よりも、インターネットの方が
多くの知識を所有していることを理解しているのではないかと思います。
事実、わざわざ学校や塾で先生にわからないことを聞くまでもなく、身近にある
パソコンからインターネットにつないで、知りたいことを調べる方が、早く大量の
情報が得られる時代なのです。
(ちなみに私の世代でも、「先生」と言ったら“google先生”、つまりgoogleで検索して
情報を得ることを指します。)
現在先生の立場にある人も、「情報量」ではインターネットには敵わないと思います
から、むしろ生徒が、先生を通してしか情報を得られないようなことにならないよう
努める必要があると思います。
つまり、「先生の保有する知識を生徒に伝える」という、これまでの一般的な先生の
役目を改めて考え直す必要があると感じています。
では、情報化社会の中で、「先生」が務めるべき役務は何なのでしょうか。
それは、教科書やインターネットに書かれている情報を生徒が理解できるように
わかりやすく正確に伝える、いわば「翻訳家」としての役務なのです。
教科書やインターネットに書かれている内容を読んで、そのまま理解できる生徒は
なかなかいません。(理解できるのであれば、授業をする必要がありません。)
きっと生徒は、教科書やインターネットのホームページを読んだだけでは、
「ん?これはどういうことだ?」
と行き詰まるはずです。
その時に、生徒がその内容を腹に落ちるように説明≒翻訳してあげることこそが、
情報化社会において先生の生み出すべき付加価値であると考えられます。
もちろん、翻訳家に日英、日仏などさまざまな言語の翻訳家がいるのと同じように、
生徒一人一人も、その生徒が自ら腹に落としやすい考え方は異なるので、
同じことを教えるにしても、生徒によって説明(翻訳)の仕方を変える必要が
あります。
そのためには、その生徒にとって考えやすい考え方を察知する必要があり、
その点はやはり人間(先生)が介在する必要があるのです。
これからの先生には、「知識の源」ではなく「知識の翻訳家」としては役割が
より強く求められるのです。
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