「記憶」ではなく「印象」に残す授業

元塾講師の綴る、実践に基づいた教育論。日本の教育を、より良くするために。

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目次

最初の記事

教えるときの「1つの大事なこと」 ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【02節】

さて、まずは「教える」ことの「1つの大事なこと」について考えたいと思います。

 

これは即ち、

「そもそも『教える』とはどういうことなのか」

ということに他なりません。

 

まずは素直に広辞苑を開いて、「教える」を調べてみましょう。

 

おし・える ヲシエル 【教える】 ①注意を与えて導くさとす。戒める。 ②知っていることを告げ示す。 ③学問や技芸などを身につけるように導く

 

いかがでしょうか。みなさんのイメージする「教える」と一致しているでしょうか。

 

上記の引用の中で太字で示した部分が、私が特に大切だと考える部分です。

 

つまり、「教える」とは、相手を「導く」ことであり、「さとす」「告げ示す」から

わかるように、相手に気付きを与えること、なのです。

 

正しいことを理解させる、覚えさせる

のではなく、

正しいことを気付かせること

なのです。

 

生徒自ら、

「そうか、こうすればいいのだな」

「なんだ、そういうことだったのか」

何らかの気づきを得られることこそが、「教える」ことなのです。

 

「教える」という言葉は、「先生が教える」と使うように、「先生」が主語として

用いられるので、

「なんでも教えてやろう」

「上手に教えてやろう」

と躍起になる先生もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし、「教える」ことの目的は「生徒に気付いてもらうこと」ですので、

最終的には「生徒」が主語にならなくては「教え」たことにはならないのです。

 

これこそが、「教える」ことの奥深いところであり、面白いところなのです。

 

「教える」という言葉からは、先生が主導するイメージが連想されやすいですが、

むしろどちらかと言えば、先生はあくまで生徒のサポーター役である、というくらい

のスタンスが正しいのです。


このイメージをこちらに示しましました。

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先生の役目は、生徒を正しいゴールへ導くことです。

しかしその時の推進力は、できるだけ生徒自ら発揮したものである必要があります。

 

生徒に自由に考えさせると、時折目指すべき正しいゴールの方向から考えが

逸れてしまうことがあります。その時先生が、うまく生徒に気付きを与え、

生徒が間違った方向に進まないよう、「壁」の役目を果たします。

 

これを繰り返して生徒が自らゴールへたどり着けるようサポートすることこそが、

正しい「教え」です。

 

生徒が考え、生徒が気付き、生徒がゴールにたどり着いた、というように、

主語が「生徒」になって、初めて「教え」を達成したことになります。

 

勉強においては、先生はあくまでサポーター、主役は生徒である、という点を

常に意識したいものです。

 

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生徒を導くプロセス ~Level2:先生が習得すべき「正しい教え方」~【第3章】【03節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業

 

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