「記憶」ではなく「印象」に残す授業

元塾講師の綴る、実践に基づいた教育論。日本の教育を、より良くするために。

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目次

最初の記事

NLPの授業への応用『先生は生徒に負けることを恐れるな』 ~Level1:生徒との関係を構築するNLP~【第2章】【10節】

前節

NLPの授業への応用~先生は全てを受け入れろ~【第2章】【09節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業

では、先生はまず生徒の考えを全て聞き、そのあとで先生が話をすべき、

という話をしました。

 

しかし、私がこれまで授業を受けてきた先生に、それほどじっくり話を聞いてくれる

先生はいなかったように思います。

 

むしろ、私が先生に説明している途中でも、私が何か間違ったことを言うや否や、

「違う違う、そうじゃなくて・・・」

と、私の話をさえぎって間違いを指摘しようとする先生が多かったように思います。

 

私も講師の経験があるので、ついついこうしてしまう気持ちはよくわかります。

教える側にとっては、相手の間違いがわかった時点で指摘してしまうのが

一番楽ですし、なにより、生徒の筋の通らない論理を聞き続けることは

苦痛でもあります。

 

むしろ、先生としてはその授業の中で説明すべきことの道筋が事前に頭に入っている

ため、それを乱す可能性のある生徒の自由な意見は、すべてが想定外であり、

ある種の恐怖ともなり得るのかも知れません。

 

しかし、そうした先生側の自己都合はできるだけ排除し、

先生に対して自分の考えを頑張って説明しようとしている生徒を尊重しようとする

気持ちを強く持とうとすることが大切です。

 

生徒は、目上の先生に対して自分の考えを整理し、言葉にして伝えるだけでも

相当な労力ですし、それなりに勇気も必要です。

 

そうした生徒の努力をまず認め、受けとめるべきであり、

その説明の内容が合っているか間違っているかはまた別の問題です。

 

ですから、生徒の説明を聞く際には、

 

「所詮、生徒に知識量や考え方の正当性で最終的に負けることはないのだから、

ひとまず生徒の不完全な考えを一通り聞いてやるか」

 

というぐらいの心の余裕を持ち、もし、それが誤った説明であったら、

 

「さて、この間違った考えをどうやって正しい方向へリーディングしていこうかな」

 

といった具合に、心に余裕をもって授業を進めたいものです。

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次の記事

NLPの授業への応用~結果よりも行動を、行動よりも能力を、能力よりも人間性を褒める~【第2章】【11節】 - 「記憶」ではなく「印象」に残す授業

 

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